映画を観たけどよく分からない、その原因はあなたがマトモだから! 映画業界をメタ的に眺め、映画の見方をメタ的に解説していくと、色々ダメな件
映画を見て、わからなかった!となること、ありませんか?こういった時の「映画がわからなかった」というのは、2パターンあります。
- 本当に訳が分からなかった!
これは意図的に訳が分からないように作ってありますので、分からなくて正解です。こちらは問題ではありません。
- 批評家や映画評論家は賞賛しているのに、いざ見てみたらわからなかった!
これが、映画が分からないと言うときの問題ですね。では、なぜ分からないのか?
これは、極めて簡単な理由です。
それは・・・
あなたがマトモな人だからです!
それだけの理由です。
映画が分からないマトモな人は、「映画を作る人も、映画を批評している人もマトモな人ではない」ということを、理解していないんです。そこが、そもそも映画が分からなくなる原因です。
映画を作る人も映画を批評する人も、「自分と同じようにマトモな人だ」という思い込みが、映画を見るときに邪魔をしているんです。マトモな人が、「他人も自分と同じようにマトモな人だろう」と思うのは至極当たり前のことなのですが、映画を観るときは別です。
マトモな人は、映画を作る必要がない
こんな映画業界ですが、マトモな人が間違ってマトモな映画を作ることもあります。映画を観に来る人の大半がマトモな人達ですので、興行的にはまあまあだったりするのですが、そういう場合、他の映画監督や映画批評からは酷評されるか、スルーされると言う悲劇(?)が起きます。当然、映画賞的なものはもらえません。ノミネートもされないでしょう。
なぜなら、映画業界にはマトモな人は少数派ですから。
マトモな人は別に映画を作る必要が余りないんですよ。マトモですから、話せば周りの人達がわかってくれます。マトモでない人達は話しても周りの人達が分かってくれないので、自分の言いたいことをわざわざ映画にして、そういうことを理解してくれるお客さんに見てもらわないと自分の言いたいことが伝わらなんです。
だから、映画はマトモでない映画監督のマトモでない告白のようなものになるんです。そして、その告白を理解できる映画評論家も、マトモでないということになります。だから、批評ができるんです。たまにマトモな人が映画批評してますけど、マトモではない監督をマトモに理解しようとするので、監督の意図を汲めずにおかしな批評をしてます。
という訳で、マトモじゃない映画を作れば、マトモじゃない映画評論家は大喜びです。彼らはそれを素晴らしい映画だと宣伝するわけですが、それを聞いてうっかりマトモな人が映画館に観に行くと、結局よくわからないというこれまた悲劇が起きます。
勿論、マトモじゃない人達が作ってますから、主人公もマトモじゃない場合が多々あります。なので、マトモな観客は主人公に感情移入もさせてもらえまん。話が分からない。主人公の気持ちが分からない。監督の言いたいことが分からない。こんな映画を見ても楽しいわけがありませんね。
マトモな人が映画を楽しむためには
では、どうすれば分からない映画が分かるようになるのか?
これも単純です。
あなたがマトモじゃなくなればいいのです。
単純とは言ったものの、マトモな人を想像するのは割と簡単ですが、マトモでない人はそれこそ十人十色のマトモでなさがありますので、とりあえずは自分にもできそうなことから始めるとよいでしょう。
例えば、
- アブノーマルな風俗に行く
- 道端の猫の死骸をよく見て見る
- 自分の寿命までの時間をカントダウンしてくれるアプリをスマホを入れる
- 鬱になる
- 恋愛する
とかでもいいですね。ただ、恋愛に関しては、普段とは違う相手とか、あるいは酷い目に遭う方がいいでしょう。(幸せは目的でないので。)
あとは、
- 喧嘩して殴られる
- 女装する
- 死にそうな目に会ってくる
まあ、普通の人は感情的にブレーキがかかることをやってみるといいと思います。とは言っても、犯罪はダメですよ。
そうしているうちに、段々と頭の中の色々なドアが開いてきて、今までよくわからなかった映画がわかるようになります。
でも、一度、頭の中の色々なドアが開いてしまったら、以前のあなたとは別のあなたになってしまっているので、それが本当にあなたにとって良いことなかどうか僕には判断しかねます。あなたもマトモじゃなくなるわけですから。
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というわけで、そこまでして映画を理解したいか、楽しみたいかどうかをよく考えて自己責任でお願いしますね。
マトモな人がマトモでなくなるのとは出来ても、元に戻ることは出来ませんよ!!