映画を観たけどよく分からない、その原因はあなたがマトモだから! 映画業界をメタ的に眺め、映画の見方をメタ的に解説していくと、色々ダメな件

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映画を見て、わからなかった!となること、ありませんか?こういった時の「映画がわからなかった」というのは、2パターンあります。

  • 本当に訳が分からなかった!

これは意図的に訳が分からないように作ってありますので、分からなくて正解です。こちらは問題ではありません。

  • 批評家や映画評論家は賞賛しているのに、いざ見てみたらわからなかった!

これが、映画が分からないと言うときの問題ですね。では、なぜ分からないのか?

これは、極めて簡単な理由です。

それは・・・


あなたがマトモな人だからです!


それだけの理由です。


映画が分からないマトモな人は、「映画を作る人も、映画を批評している人もマトモな人ではない」ということを、理解していないんです。そこが、そもそも映画が分からなくなる原因です。

映画を作る人も映画を批評する人も、「自分と同じようにマトモな人だ」という思い込みが、映画を見るときに邪魔をしているんです。マトモな人が、「他人も自分と同じようにマトモな人だろう」と思うのは至極当たり前のことなのですが、映画を観るときは別です。

マトモな人は、映画を作る必要がない


こんな映画業界ですが、マトモな人が間違ってマトモな映画を作ることもあります。映画を観に来る人の大半がマトモな人達ですので、興行的にはまあまあだったりするのですが、そういう場合、他の映画監督や映画批評からは酷評されるか、スルーされると言う悲劇(?)が起きます。当然、映画賞的なものはもらえません。ノミネートもされないでしょう。

なぜなら、映画業界にはマトモな人は少数派ですから。

マトモな人は別に映画を作る必要が余りないんですよ。マトモですから、話せば周りの人達がわかってくれます。マトモでない人達は話しても周りの人達が分かってくれないので、自分の言いたいことをわざわざ映画にして、そういうことを理解してくれるお客さんに見てもらわないと自分の言いたいことが伝わらなんです。

だから、映画はマトモでない映画監督のマトモでない告白のようなものになるんです。そして、その告白を理解できる映画評論家も、マトモでないということになります。だから、批評ができるんです。たまにマトモな人が映画批評してますけど、マトモではない監督をマトモに理解しようとするので、監督の意図を汲めずにおかしな批評をしてます。

という訳で、マトモじゃない映画を作れば、マトモじゃない映画評論家は大喜びです。彼らはそれを素晴らしい映画だと宣伝するわけですが、それを聞いてうっかりマトモな人が映画館に観に行くと、結局よくわからないというこれまた悲劇が起きます。

勿論、マトモじゃない人達が作ってますから、主人公もマトモじゃない場合が多々あります。なので、マトモな観客は主人公に感情移入もさせてもらえまん。話が分からない。主人公の気持ちが分からない。監督の言いたいことが分からない。こんな映画を見ても楽しいわけがありませんね。


マトモな人が映画を楽しむためには


では、どうすれば分からない映画が分かるようになるのか?

これも単純です。


あなたがマトモじゃなくなればいいのです。


単純とは言ったものの、マトモな人を想像するのは割と簡単ですが、マトモでない人はそれこそ十人十色のマトモでなさがありますので、とりあえずは自分にもできそうなことから始めるとよいでしょう。

例えば、

  • アブノーマルな風俗に行く
  • 道端の猫の死骸をよく見て見る
  • 自分の寿命までの時間をカントダウンしてくれるアプリをスマホを入れる
  • 鬱になる
  • 恋愛する

とかでもいいですね。ただ、恋愛に関しては、普段とは違う相手とか、あるいは酷い目に遭う方がいいでしょう。(幸せは目的でないので。)


あとは、

  • 喧嘩して殴られる
  • 女装する
  • 死にそうな目に会ってくる


まあ、普通の人は感情的にブレーキがかかることをやってみるといいと思います。とは言っても、犯罪はダメですよ。

そうしているうちに、段々と頭の中の色々なドアが開いてきて、今までよくわからなかった映画がわかるようになります。

でも、一度、頭の中の色々なドアが開いてしまったら、以前のあなたとは別のあなたになってしまっているので、それが本当にあなたにとって良いことなかどうか僕には判断しかねます。あなたもマトモじゃなくなるわけですから。

***

というわけで、そこまでして映画を理解したいか、楽しみたいかどうかをよく考えて自己責任でお願いしますね。
マトモな人がマトモでなくなるのとは出来ても、元に戻ることは出来ませんよ!!

巨匠クローネンバーグの息子、ブランドン・クローネンバーグ監督作品『アンチヴァイラル』を最近思い出して猛烈に共感したエモ・キモイ話

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人は自分の中にあるものしか、他人の中にも見ることができない。
映画もまた同様に、自分の中にないものを映画の中に見出すことはできない。

特に最近、僕はこのようなことを思っています。同じ映画を何年か後に見返すと、当時は気が付かなかったその映画の良さに気が付いたりすることってありますよね?
それは、いろいろな体験を経て自分の中にあるものが増えたから、同じ映画の中にまた違うものを見出すことができるようになったのではないでしょうか。

あることを経験したときに、過去に見た映画を思い出して、
ああ、あの映画はこういうことが言いたかったのか・・・
と、突然、気がつくこともありますよね。



そう、僕はある経験をしてから、ふと『アンチヴァイラル』という映画を思い出した時、猛烈な共感を覚えたと同時に、この映画が僕の中の映画ランキングで急上昇したのです!


アンチヴァイラル』がどういう内容なのか詳しくは見て頂くかググって頂くとして、とりあえず予告編はこんな感じです!
www.youtube.com

とりあえずここでは、

  • 変態映画監督クローネンバーグの息子が作ったこれまた変態映画

  • 大好きな芸能人に感染したウイルスを採取し、それを自分の体に注射し、感染してハアハアしている人たちの物語

ということがご理解頂ければ十分だと思います。僕もずいぶん前に見たので、そんなに覚えてはいないですし。

お察しの良い方はもうお分かりかと思いますが、こんな変態映画の良さに気が付いたということは、僕がした経験も言わずもがなな内容となっております。
今回はネタバレはありませんが、下ネタにはご注意下さい!

ことの次第は以下の通りです。





* * *



僕は基本的に女の子と付き合うのは面倒くさいと思ってしまうタイプですが、この間、久しぶりに彼女ができました。
彼女は僕とは違ったタイプで、彼女は5歳年下で、明るく活発で、勉強は得意ではなかったようですがしっかりしていて、少し強気なところもあるけれど素直でとても可愛い子でした。

僕と彼女の間に、あまりと言うかほどんど共通項を感じませんでしたが、僕も彼女のことが好きだったので付き合うことにしました。

付き合ってしばらくして、彼女の部屋に泊まることになりました。まあ、図々しく僕が上がり込んだんですけど。
彼女の後に僕がお風呂を借りて、一緒に布団でイチャイチャした後セックスして、窓の外が明るくなっていたのでもう一度シャワーを浴びて一緒に寝ました。

と、ここまではリア充自慢みたいな話で読む方は辟易するでしょうが、その2日後から僕は喉が痛くなりまして、風邪かなと思い鏡で喉の奥を見たら、喉の奥の扁桃腺に白いブツブツができていました。

確かに、セックスのときはゴムはつけましたが、オーラルセックスのときはそのままでした。ていうか、女の子のを舐めるときはどうしようもないじゃん!?

ヤバい・・・なんかうつされたっぽい・・・
こんなものを初めて見た僕はビビりまくります。
すぐさまスマホで「喉 性病」でググります。
一通り調べた結果、扁桃腺の白いブツブツは性病によるものだけではなく、その多くの場合は風邪など他の菌やウィルスによって同じ症状が出るようです。
とりあえず安心でしょうか?

しかし、それからさらに2日後、僕のチ○コの先の部分に直径2~3mmの何やら赤い虫刺されのようなものがあるではありませんか。

はい。性病!
これはマズいぞ・・・!

慌てふためいた僕は性病について検索しまくります

お、お、落ち着け・・・どの症状とも似てはいない。ティン○には2~3mmの赤い虫刺されのようなものがあるだけで、その他の症状はない。僕のムスコは今のところ無事だ。

この性病のような何かについて彼女に言おうかどうか迷っていましたが、彼女の部屋に泊まって以降は2回ほど食事をしただけでお互いの予定が合わず、彼女と会わないまま日々が過ぎていきました。



それから1週間後ぐらいでしょうか、突然、彼女の方から別れをきりだされました。「色々考えたら、やっぱりお互い違うところがありすぎるし、このまま続けるよりも早めに別れよう」とのことでした。
だいたいこういうことを言い出すと、僕の経験上、女の子がこちらの説得を聞いた試しがありません。今回も説得を試みますが、やはりダメのようで別れることになりました。

僕は付き合う前からお互いタイプが違うことを承知の上でしたので、時間をかけてお互いを理解していければいいなと思っていましたが、その為に色々と話し合えるだけの信頼関係を彼女との間に作れていなかったことが悔やまれます。



僕は彼女のことが好きでしたので凹んでいましたが、風呂やトイレで自分のアソコを見るたびに、あの虫刺されのようなものが目につきます。

彼女にうつされた(?)この性病のような何かを見るたびに、彼女のことや、表情、喋り声、香り、肌触りなどが彼女への喪失感と共に思い出されます。

まるで彼女の一部がまだ僕の股間の先端にこびりついているような感覚。

彼女と僕の間で共有される病気(?)を介して、少しだけですが彼女との繋がりが存在するかのように感じてしまいます・・・


というか、これなんか、もうキモイ領域に足を・・・
 


ん?そう言えば、そんな映画があった気がするぞ・・・



アンチヴァイラル』だ!!!




そうですよ。ブランドン・クローネンバーグ監督が作ったこの変態映画がまさにそれですよね。


ブランドン・クローネンバーグ監督!
あんた素晴らしいよ!!
天才だな!!
堪らんぜ!!!
そしてマジ変態!!www

・・・当時の僕では気が付かなかったこの映画の意味が、今になってやっと分かりました。
この映画の登場人物たちが、大好きな人と病気を介して繋がりたい気持ちが、やっと僕にも共感できました。

病気でさえ、その人の身体の延長のようなもので、それを自分の体に入れるということは、微弱な肉体関係のような効果があるように感じます。

少し話が変わりますが、女性が恋人や夫から中○しされる感覚と似たようなものではないか、妊娠するのと似たようなものではないかと想像してしまいます。
女性の実際の気持ちは僕には分かりかねますし、精子をウィルスや菌に例えるのも、妊娠を感染に例えるのもどうかとは思いますが・・・




* * *




以上の経緯で、
僕の中で変態映画『アンチヴァイラル』と変態監督ブランドン・クローネンバーグの評価がただいま急上昇中です!


さて、この性病のような2~3mmの赤みはその後も大きくなるでもなく、小さくなるでもなく僕の亀頭についているわけですが、はたして病院行くべきか・・・

せっかくだから、彼女の思い出を僕の一物の先ちょにもう少しの間くっつけておこうかなww
ですよね!ブランドン・クローネンバーグ変態監督!


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『ゾンビ・ヘッズ』を見て、"主人公=ゾンビ"というゾンビ映画の最新のトレンドはロメロからの歴史的必然だ!と、声を大にして叫びたい件。

タイトルでわかるとは思いますが、僕はゾンビ映画が大好きです!!

以前、女の子から夜に「今なにしてるの?」とメールがきたので、「ゾンビ映画見てる!^^」などと無邪気に返信したら、それ以降メールが返ってこなくなりました。もしもそのとき「アダルトサイトを見てたのなら、僕も嘘ぐらいついたはずです。流石に僕も「AV見てる!^^」などは返信したりしません。恥ずかしいですから。
ゾンビぐらいはいいじゃないか。僕は正直に答えただけ、それの何が悪いのか。しかし、その油断、その甘えがこのような事故や悲劇をまねくのです。ホラー映画でもこういうアホなやつは絶対死ぬのです。むしろ、殺して下さいと前フリしているようなもの。いったい僕は数多くのホラー映画を見て何を学んできたのでしょうか、まったく。
やはり、「ゾ」のつく言葉は言ってはいけないのです。特に、女の子の前では!

先日も、『ショーン・オブ・ザ・デッド』が好きだという女の子とゾンビの話題で盛り上がり、ついうっかり「僕もゾンビになりたい!」などと口ばしってしまいました。その瞬間、その女の子はポカンとして、「この人、変・・・」という目で僕のことを見てきました。ちょっと趣味があったからといって、油断してはいけないのです。
これがハニートラップというやつか。簡単に引っかかってやったぜ。共通の趣味でお互いの距離を縮めておいてから、突き放す。よりダメージを大きくするために、持ち上げておいて落すという法則。数年前に子供先生(?)も言っていましたね。
恋愛というホラー映画で生き残るためには、油断はダメ、絶対!です。

以上の経験から思うにゾンビと恋愛は相性が悪いのです。というか僕は勝手にそう思っていました。

しかし、『ゾンビ・ヘッズ』はゾンビが主人公の青春ラブ・ロード・ムービーだったのです!
僕は感動しました。ゾンビでも恋愛していいのだと。ゾンビになっても思いを伝えることができるのだと。
腕がとれながらもよくがんばった。感動した!


というわけで、『ゾンビ・ヘッズ』で感動しながら思いついた、『ドーン・オブ・ザ・デッド』から最近のゾンビ映画までの歴史的変遷(仮説)をゾンビへの愛をこめて真面目に語りたいと思います。ゾンビだって彼女に気持ちを伝えているんだ!僕だってみなさまにゾンビ映画の素晴らしさをお伝えしたい!!
結果がどうとかじゃない、やると決めることが大事なんだ!!
と、ゾンビに励まされて、なんだかよくわからない使命感とやる気が湧いてきてしましたので。

ゾンビ映画変遷史1:『ドーン・オブ・ザ・デッド

ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロの『ドーン・オブ・ザ・デッド』(1978年 邦題『ゾンビ』)は直訳すると、「死者の夜明け」という意味ですが、これはまさしく"ゾンビ映画の夜明け"となった作品であり、この映画によってゾンビ映画がただのホラー映画を越える契機となった作品と言えます。

f:id:kontonwa:20140305031051j:plain:w500ドーン・オブ・ザ・デッド

この映画が傑作と称賛されるのは、ゾンビというモンスターが登場する低予算のホラー映画でありながら、社会風刺映画としてよくできていたからです。
ドーン・オブ・ザ・デッド』ではショッピングモールに群がる消費者をゾンビに例えたのです。この映画ではゾンビとは惰性で生きている人々であり、つまり、目的もなくダラダラとショッピングモールで時間をつぶしている大衆消費者を皮肉ってゾンビにしているのです。おそらく、ロメロが『ドーン・オブ・ザ・デッド』をつくった1970年代後半は今現在のような大衆消費社会ができあがった時代であり、その大衆消費者をロメロは驚きと警鐘をこめてゾンビにしたのでしょう。ダラダラとショッピッグモールをうろつく人々は本当に"生きて"いるのかと。
そして、主人公たちもそのショッピングモール内にバリケードを作って立て籠り、ゾンビと戦いながらも不自由しない生活を満喫していますが、最終的にそのショッピングモールから脱出します。快適なショッピングモールという生活から、不確実な新たな世界へと飛び出していくのです。
この映画においてゾンビ=敵であり、主人公たちはそのゾンビたちのショッピングモールから自由を求めて飛び立つのです。

しかし、ロメロが皮肉った大衆消費社会こそ、まさに今の我々が生きている世界なのです。大衆消費者である我々とは、つまり、ロメロが皮肉ったゾンビであるのです。そしてその必然として、大衆消費社会の中で育った世代の映画監督は「我々=主人公=ゾンビ」という着想に行き着くはずなのです。

ゾンビ映画変遷史2:『ショーン・オブ・ザ・デッド』『ゾンビーノ』

その記念すべきゾンビ映画界におけるマスターピースとして僕は『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004年)を評価したいと思います。

f:id:kontonwa:20140305030654j:plain:w500ショーン・オブ・ザ・デッド

この映画はコメディ・ゾンビ映画として認識されていますが、ロメロのドーンオブザデッドの構造を捉えた上でアイロニックに逆転させたことこそ、この映画のコメディの核心であると主張したい。『ショーン・オブ・ザ・デッド』は直訳すれば、"死者のショーン"という意味であり、ショーン君はこの映画の主人公です。なぜショーン君は死者なのか。それは、彼が完全に惰性で生きている人間だからです。やりたくもない仕事をダラダラやり、毎晩パブに行ってダラダラすごしているからです(この映画はイギリスの話なのでパブが舞台)。そして、彼も仲間とパブに立て籠もってゾンビと戦うのですが、彼の親友がゾンビに噛まれて感染してしまいます。そして、その後軍隊が介入し事態は収束し、ゾンビの攻撃性を抑える首輪も発明され、人とゾンビの共存できる社会が訪れます。
この映画の素晴らしいところは、この親友がゾンビになった後もショーン君と一緒に暮らしていることです。その親友ゾンビは鎖でつながれてゲームをしていますが、その親友は人間の頃からニートでゲームばかりやっているヤツだったので、ゾンビになっても大して変わりがないのです。
この映画において、親友=ゾンビ≒主人公であり、主人公も限りなくゾンビのような存在ですが、まだ、ゾンビ=友達という構図なのです。しかし、これはゾンビと主人公(=観客)の境界線を曖昧にし、両者を近づける大きな一歩であったと評価できます。

ちなみに、『ゾンビーノ』(2007年)という映画がありますが、その中ではゾンビ=家族の一員です。
f:id:kontonwa:20140305031653j:plain(ゾンビーノ)

ゾンビ映画変遷史3:『ゾンビ・ヘッズ』

その最後の境界線を超えたのが、ここ最近の『ゾンビ・ヘッズ』に代表される、主人公=ゾンビの構造をもったゾンビ映画であると言えます。

f:id:kontonwa:20140305032213j:plain:w500(ゾンビ・ヘッズ)

つまり、僕たちが最近目にするようになった、主人公=ゾンビものはゾンビ映画界の思想的最前線であり、ロメロから数十年を経てゾンビはここまで進化したのです!


整理すると、こんな感じです!

1:大衆社会消費者がゾンビな映画『ドーン・オブ・ザ・デッド


  大衆社会消費者=我々という認識が生まれて・・・


2:友人がゾンビな映画『ショーン・オブ・ザ・デッド
  ↓
3:家族がゾンビな映画『ゾンビーノ』
  ↓ 
4:主人公がゾンビな映画『ゾンビ・ヘッズ』


となる。 

そして、その『ゾンビ・ヘッズ』に僕は感動しました。共感しました。
僕もどおせゾンビだよ!! 
でも、ゾンビだっていいじゃないか!!

では最後に、僕の大好きなThe Pretty Recklessのテイラー・モンセンが歌う"Zombie"を聴きながら・・・

さよなら、さよなら、さよなら


The Pretty Reckless - Zombie - YouTube

水野愛也著『LOVE理論』を読んで、反省会の巻

本屋をプラプラ歩いていたら、『LOVE理論』というタイトルの本が平積みされておりまして、その本の帯にドラマ化決定!などと書いてあるのが、僕の目に止まりました。
こ、これは?!恋愛のハウツー本を原作にして、ドラマを書くのか。すごいな。面白そうだな。と僕の好奇心をくすぐります。
ブラピ主演の映画『マネーボール』の原作は物語ではなくビジネス本だ、と聞いたことのある僕は興味深々です。

主演は中村獅童だそうです。

獅童が恋愛指導かw
いや、でも君は過去にね、ほらw
てか、もともとカッコイイ男に言われてもね…
などと、僕の頭の中は勝手にキャスティングへのイチャモンを開始します。

まあ、ドラマをですから。キャスティングも大人の事情があるのでしょう。僕も大人ですからそれぐらいのことは多目にみたいと思います。


恋愛ハウツー本からどんな脚本が描かれるのか。いや、その前に、ドラマにしたときの脚本の良さを理解する為には、まずは原作と比較しないといけないよな。ということは原作を読むのは必須。その上でドラマを見なくては!
要チェックや!
と、我ながら面倒くさい作品鑑賞のスイッチが入ってしまいました。

べ、別にモテたいわけじゃないんだからね!
と心の中で自分に言い訳しつつ、周りに人がいないことも確認しながら、『LOVE理論』を手にとって読んでみます。
タイトルから、僕はこの手のよくあるこうすれば女にモテるぞ的な安易なハウツー本だろうぐらいに思っていました。しかし、そこに書かれているのは、著者、愛也の熱血指導による、女の子と付き合う為の涙ぐましい努力の数々。楽で、簡単で、カッコいいことなどまったく書かれていないのです。

まずは、恋愛ベタで女の子への妄想ばかりが膨らむチェリーボーイどもを一括します!
「ブサイクだろうが、なんだろうが、とにかくセックスせよ。そして、お前が今まで抱いてきた性の妄想を現実においてトライし、そのすべてに絶望せよ。」

それから、「失敗などはしていない。上手くいない方法を700通り見つけたのだ。」の言った発明家エジソンを引き合いに出して、
「すべての方法を試したのか?モテるために、限界まで努力したのか?」
と、男どもへ檄をとばします!

おまけに、著者の経験として、
合コンの参加資格を得るために、幹事である男に気に入られろや、
FacebookTwitterを使って、女の子の居場所がわかれば、自転車で3時間半かけて女に会いに行き、そして、また3時間半の帰路につくや、
女の子への一通のメールに平均で2〜3時間かけて書き、仕事に支障がでるレベルや、
ディズニーランドデートのために大型書店に行き関連図書をすべて読み、さらにはネットで役立つ情報があれば逐一メモした。
などと、文系かつ面倒くさがりな僕にとっては、ほとんど 訳に立たない情報が熱血レクチャーされています!

そして、コミニケーションにおいては犬や猫を真似し、
「無駄な動きの量と、高感度は比例する」
「コミニケーションにおいて、できるだけ無駄な動きを取り入れること。決して省エネは許されない。」
と、まるで女の子が可愛いと思うようなペットであれと要求するのです!

さらに、やっと念願のベッドインという場面では、
「セックスは「目的」ではなく「(女の心を掴むための)手段」である。」
「セックスの鉄則 その一 楽しむな」
「いいか? セックスという行為、特に女との最初のセックスは、恋愛のなかでも「最もつらく、過酷な労働」であると位置づけよ」
「そもそも最初のセックスをセックスとは呼ばない。「リサーチ」と呼ぶ。」
「終わった後は無理やり優しくしろ」
と、デューク東郷でもさすがにそこまでは言わんやろ?
というほどの徹底したリアリズムに基づくプロの仕事を要求するのでした!

もはや苦行。女の子にモテるためにこれほどの苦行が行われていたとは…と僕は、男の女にモテたい欲求の強さを改めて知り、それに唖然としてしまいます。
と、ほんんど同時に、僕の頭の中では一大反省会が開かれたのです。はたして、僕はこれまでどれぼど努力をしてきたのでしょうか。僕は草食系男子であることを言い訳にして、女の子という名の苦行から逃げ出しだけではなかったのか。あるいは、ガッツいてる男ってなんかカッコ悪いなどと冷めたフリをしていたのでないかと。
今思えば、どれほど僕は怠惰だったことでしょうか。
合コンに行ってもすぐに飽て、ぼーと天井を見上げる。せっかく女の子にアドレスを聞いてもメールしない。めんどくさいからメールを返さない。
デートコースは基本適当。
会話のキャッチボールはほぼ無視。僕は、僕の喋りたいことを喋りたい。
興味のない女の子はご飯に行くだけ。さっさと帰す。僕は笑顔で見送りながらも、早くうち帰って映画見たいなぁなど、心をここにあらずです。
もう、セックスに至ってはお恥ずかしい限り。
全くもって自己中でした。自分が楽しむことしか考えておりませんでした。僕は猛烈に反省しております!

僕が女の子にモテないのも当たり前。僕に足りなかったのは、身長でも、足の長さでも、イケメンでも、アソコのサイズでもありません。努力です!
今、なぜか猛烈に僕の中で上田次郎が叫んでいます。
「ベストをつくせー!!!!」
「Why don't you do your best!!!!?」と。

そして、いざワンピースの似合う女子を見つける大航海へ、
リア充に俺はなる!!
と、心なかで叫んでおります。

これからは、愛情、努力、勝利を胸に日々生きてゆきたいと思っております。

と、ここで僕の頭の中の反省会が一段落したところで、続きを読んでみます。

愛也先生は、出会いがないと嘆く男に、女の子に渡す連絡先と気の利いた一筆を書いてやります。
しかし、この手の所謂ナンパでは、女の子から連絡がこないかもしれません。それでは、この童貞野郎が、
『自分の声の掛け方が良くなかったたんじゃないか?』
『自分のルックスがダメだったんしゃないか?』
などと、自分を責めかねません。
それをも見越した愛也先生は、自らの一筆にあえてギャグを入れ、
「もしメールが来なかったとしても、その理由のすべてを「愛也のギャグが滑ったから」この一点に集約させよ。すべての責任は、愛也にあるのだ」
と、男の僕が聞いてもクッソ男前なセリフを決めてくれたのです‼

あ、やばい…
かっこいい…
惚れてまうやろ…
ありかもしれない…
ありだよね。
全然ありあり…………ぇ?!

女の子じゃなくて僕がオチそうになってきたので、立ち読みやめて帰ります!

LOVE理論

LOVE理論

【宿題編】『風立ちぬ』を見てから一週間とっても憂鬱だった件

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憂鬱。ほんと憂鬱。

『風立ちぬ』を見てからというもの僕は憂鬱で、憂鬱で、心療内科に駆け込もうかとさえ思ったほど。


先生!ハッピーになるお薬下さーい!・・・・やはり、これはマズイ。


あの「生きねば」の意味を考えて、自分なりの答えを見つけねば・・・一週間ぐらい考えました。


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【前編】『風立ちぬ』を見て号泣の巻き〜無常観、それでも世界は美しい〜

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号泣。途中からずっと号泣。
数週間前になりますが、宮崎駿監督、長編引退作品『風立ちぬ』を見に行ってきました。DVDが旧作になるまで待てなかったというか、たまたま一緒に見に行く人がいただけなのですが・・・
 
でも、これは映画館で見て良かった。マジで。『風立ちぬ』見ようと言ってくれてありがとう。僕の中では、『風立ちぬ』がジブリ最高傑作になりました。大人のジブリ